福井地方裁判所 昭和31年(ワ)123号 判決 1960年1月11日
原告 江守清商店こと 江守清
右訴訟代理人弁護士 堀江喜熊
被告 金子又は徳山こと 坂本重作
右訴訟代理人弁護士 梨木作次郎
主文
被告は、原告に対し金六百四十九万五千百円及びこれに対する昭昭三十一年七月十八日から完済まで、年六分の割合による金員の支払をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、原告において、金百万円の担保を供するときは仮に執行することができる。また、被告において同額の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。
事実
≪省略≫
理由
第一 先ず、原被告間に、果して、原吉主張の如き人絹売買の委託契約が成立したかどうかについて検討する。
一 原告主張事実中、原告が、福井人絹取引所所属商品仲買人として、主務省の登録を受け「江守清商店」名義により、肩書住所地で人絹の売買取引を営む者たることは、当事者間に争なく、成立に争ない甲第十一号証と、証人平江勝雄の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は、昭和二十九年四月十六日「江守商店小松出張所」を、従たる受託場所として、通商産業大臣の登録を受けた事実を認めることができる。
二 いずれも成立に争ない甲第八号証≪中略≫を綜合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 被告は、その肩書住所地で機業をしている者であるが、かねてから、株式の売買のため金沢市内の証券業者訴外日華証券に出入していたところから、同社の番頭であつた訴外平江勝雄と知り合うに至り、同人が、右証券を退社して、前記の如く小松市内寺町五十一番地の同人方に開設された原告商店小松出張所所長として、原告商店所属商品外務員として勤務するようになつた前後頃から、平江を介して原告に対し、金子名義で、人絹の売買の取引を委託するようになつたこと
(二) 被告は、右の如くして順調に、原告との間に取引を継続していたところ、昭和三十年後半にに至り、昭和三十一年度二月限から四月限の人絹の売玉を建て、さらに、いずれも、金子名義で平江に対し別紙第一目録(1)乃至(16)記載の如く、同年十二月七日から昭和三十一年四月十三日までの間、五月限同目録記載の数量を、右記載の如き値段で売付の委託をし(以下、数量、値段は同目録該当欄記載のとおりであるから、重複を避ける。)、同目録(17)乃至(26)記載の如く、同年二月一日から同年四月十一日までの間、六月限の売付の委託をし(但し、同目録(24)の売付の日時は、同年四月二日であると認める。)、同年四月十六日同目録(27)記載のとおり六月限の買付の委託をし、同目録(28)乃至(33)のとおり、同年二月一日から同年四月二日までの間、七月限の売付の委託をなし、同年三月二十日同目録記載(34)のとおり八月限の売付の委託をしたこと
(三) ところで、右取引に当り、被告は、原告に対し昭和三十年六月十一日以降昭和三十一年一月六日までの間、被告主張の如き充用有価証券を差し入れていたうえ(右証券差入の事実は、当事者間に争ない。)、同年三月分までの差損金は、全部、これを清算していたのであるが、同月末に至るや、被告の前記建玉の値洗差損金は、約百九十五万円に達したにも拘らず、前記証拠金は約五十万円にすぎなかつたので、平江は、その頃から、被告に対し追証を差し入れるよう請求していたところ、被告は、同年四月十二日追証として金五十万円を差し入れた。そして、翌十三日、被告は、平江に対し叙上の如き事情であつたので、従前、使用して来た「金子」名義と異つた口座で、取引するよう指示したので、平江は、被告を「徳山」と表示し、かくして同日、被告は、新たに、原告に対し四月限三十枚及び別紙第二目録記載のとおり、五月限、六月限各三十枚の売付の委託をしたことと
(四) ところが、同年四月十五日以降の人絹相場は、高騰の一途を辿り、ために、被告の値洗差損金は、増大するのみならず、その後、全く被告は追証を差し入れず、かくして、同月二十六日の納会には、四月限、金子名義の分として金百二十九万六千二百七十円、徳山名義の分として金二十四万四千八百円の損失金を生ずるに至つた。そこで、平江と原告方店員たる訴外前田正行は、同月二十九日、金策のため京都市に赴いた被告と、同市内で面談し、その善後措置を協議した結果、被告は、前記四月限の差損金については、その差入にかかる証拠金で清算することを了解し、五月限以降の建玉(当時、その値洗差損金は約二百万円であつた。)については、被告において、新たに、証拠金を差し入れるか、或は、早急に手仕舞して差損金を支払うか、もしくは、建玉を両建にして損失を固定し、将来、相場の落ちつくのを待つか、三者のうちいずれかの方法を択ぶこととし、その決定については、被告が、帰郷して後、更めて、原被告間で協議することとなつた。
そこで、その後平江は、数回に亘り、被告方を訪れたが、被告の所在不明のため連絡がつかず(被告は、同年五月二日頃京都市から帰つていた)、同月六日頃には、平江と原告が、うち連れて被告方に赴いたが、これまた、被告の所在不明のため、面談すること能わず、しかも、当時の相場は、急騰を続けるのみであつたので、原告は、止むなく、同月七日朝被告に宛てて、電報で翌八日朝までに追証として金四百万円を差し入れるよう催告し、もし被告において、これを履行しないときは、八日前場三節で被告の建玉全部を手仕舞う旨通知した。一方七日夜漸くにして被告と会つた平江は、被告に対し、前記京都市での回答を促し、原告と話合のうえ解決するようしようとしたところ被告は翌朝までに回答する旨確約したにも拘らず、結局何らの応答をせずして終つたこと
(五) そこで原告は、五月八日前場三節において、別紙第一目録(1)乃至(26)(28)乃至(34)及び同第二目録記載の被告の売建玉全部を、それぞれ右記載の如き値段で買手仕舞し、同第一目録(27)記載の被告の買建玉を、同記載の如き値段で売手仕舞したこと
右認定に反する被告本人の供述部分は、前掲各証拠と対比して、にわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。(なおこの点については、後に補足する。)
三 前叙認定事実に基けば、明かに被告は原告との間に、原告主張の如き人絹売買を委託したものと認めるのほかなく、その結果被告は原告主張の如き売買差損金債務及び手数料支払債務を負担するに至つたものといわねばならない。
四 ところで、被告は本件取引はすべて平江において、擅に被告名義を冒用して原告との間になしたものである旨抗争するも、この主張は全く事実に添わないものとして、採用するに由なきことは、前掲認定事実に徴し明白なところといわねばならない。
(一) 尤も被告から原告に返戻された売付報告受領書(甲第三号証の一乃至二十八)に押捺されある「金子」名義の印影は、すべて平江において有合印を押捺して顕出したものであることは、前記平江の証言によりこれを認められるところであるが、同証言によれば、被告は従前「金子」名義で取引しながら、その印章は、「勝見」名義を使用していたところ、昭和三十年暮頃右印章が紛失したため、平江は被告の依頼に基き、右有合印を押捺するに至つた事実が認められるのであるから、右事実は前記認定をなすについて、いささかも妨げとなるものではない。
(二) 次に被告の四月限の建玉が手仕舞された結果、百二十九万六千二百二十円の差損金が生じ、これを被告の差し入れた証拠金により決済したことは前記認定のとおりであるが、証人平江の証言によれば、右証拠金のみでは、なお金二十二万五千七百二十七円が不足であつたので、平江は被告のため右不足金を立替払した事実を認定し得るのである。ところで平江がかくの如く立替払するに至つた理由については、本件では必ずしも首肯し得ないものがあるので、この点のみを捉えれば、平江は本件取引につきはたして原被告の何れ側に立つていたのか、いささかの疑念なしとはしない。
しかしながら、これをさきに認定した本件取引の経緯並びに取引結了の全般並びに本件口頭弁論の全趣旨と、彼此対比して考察すれば、かかる事実のみによつて、被告主張の如き事実を承認し得ぬこと勿論であり、されば右事実の存在は未だ前記認定を動かすに足りない。
(三) なお被告は原告提出にかかる甲第八号証について、証拠抗弁を提出するから按ずるにその趣旨は、要するに該書面は、被告において、平江等の強迫により、止むなく作成せしめられるに至つたとの点に存するかの如く窺われるのであるが、この点に関する被告本人の供述は、前掲各証拠に照し、にわかに措信し難く、また被告提出にかかる乙第十号証は、とうていこの点に関する適確な証拠となすに足らず、他にこれを認めるに足る何らの証拠も存在しないので、該主張は採るを得ない。
第二被告の主張に対する判断
一 先ず、被告は、原被告間には、被告の証拠金が切れた際には原告において被告の建玉を手仕舞う旨の約定が存した旨主張する。
証人山崎嘉則及び越場定雄の各証言竝びに、被告本人の供述中にはそれぞれこれに添う趣旨の部分が存するが、該部分はいずれも前掲第一一(三)、(四)事実に徴しとうてい信用することができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。尤も被告の四月限の建玉決済に際し、平江において被告の預託した証拠金を充当して、なお、不足する損金を被告のため立替えたことは、前説示のとおりであるが、右(三)(四)の事実の存在を考慮するとき、かような事実のみによつて被告主張の特約を肯認し難いことは、また多くを説明する要なきところといわねばならない。
されば、被告の該主張は採用し難い。
二、次に被告は、本件取引は商品取引所法第九十七条第一項に違反し無効である旨主張するから、この点について検討する。
(一) 商品取引所法第九十七条第一項は「商品仲買人は、委託契約準則の定めるところにより、商品市場における売買取引の受託について、担保として委託者から委託証拠金を徴すべきこと」を規定し、成立に争ない甲第十八号証によれば、右に基き福井人絹取引所は受託契約準則を定め、その第十五条において「委託者は、自己の委託した取引が成立したときは、その翌日正午までに、委託本証拠金を仲買人に預託すべく、その額は約定値段の百分の二十以内で理事会が定める」こと及び、第十六条において、「委託者は委託売買値段と、その後における単一約定値段との比較において、損益差引額が損失となつたときは、委託追証拠金を預託すべきこと」を各規定している事実が認められる。
(二) ところで被告は、原告との間に、昭和三十年十二月頃二月限から四月限の人絹取引をしたが、さらに引続き同年十二月八日から昭和三十一年四月十六日(同年五月八日の手仕舞については別論とする。)までの間に人絹三百数十枚に及ぶ本件取引をしたこと、その証拠金として、被告は昭和三十年六月十一日以降昭和三十一年一月六日までの間被告主張の如き充用有価証券を同年四月十二日現金五十万円を差し入れたこと、及び同年三月頃には、四月限以降の建玉の値洗差損金は金百九十五万円に達していたのに、証拠金は約金五十万円に過ぎなかつた事実は、さきに認定したところである。そしてこの事実に証人平江勝雄及び向川豊志(第一回)の証言を綜合して認められる福井人絹取引所所定の当時の証拠金の額は、約定値段により異るとはいえ、大体人絹一枚につき金一万円内外であつた事実竝びに本件で顕われたすべての証拠資料とを綜合考察するときは、原被告間の取引は、長期間に亘るものであつたため、原告は被告から本件各取引の都度その建玉に対して証拠金を徴収することなく被告の全建玉及び相場変動に応じて、応分の証拠金を差し入れさせていたことが明白である。されば昭和三十一年三月頃には被告の建玉の値洗損金に比し、被告の預託証拠金は相当に不足していた事実は否定すべくもないところであるが、被告主張の如く、本件各取引はすべて被告から証拠金を徴せずしてなしたとは、直ちに断定しかねるところである。
(三) のみならず、本件各取引はすべて委託者たる被告から証拠金の預託を受けないでしたもであつても、このような事由は、本件取引自体の効力にいささかも、影響を及ぼすものではないのである。以下その理由を略言する。
そもそも売買委託のために委託者が仲買人に対し預託する証拠金は、右買売取引の委託契約上、仲買人が委託者に対して取得することあるべき一切の債権(右債権の範囲はそれが差入の必要を生じた特定の売買取引に関する委託契約上の債権に止まらず広くその委託者との間の他の委託契約上の債権にも及ぶのである)を担保することを目的とすることは商品取引所法の法意竝びに前記受託契約準則の趣旨に照し一点疑を容れないところである。けだし仲買人は商品市場における売買取引につき、法律上の主体として委託者のために一切の取引をするものであるから(委託者は、受託者たる仲買人との間に権利義務の関係を生ずるに止まり、取引所又は右仲買人の相手方たる仲買人及びその者の委託者との間に、何ら法律上の関係に立つものではない。)、委託者が委託契約の趣旨に反し、受渡品を提供せず、或は受渡代金ないしは委託手数料その他の立替金を支払わないことによつて、仲買人は、不側の損害を蒙るおそれあることは、当然であるからである。従つてかかる場合に備えて、法は仲買人に対し、委託者から証拠金の預託を受くべきことを義務ずけ、かつこれを強制せんとしたに止まるものであり、畢竟、商品取引所法第九十七条第一項の趣意は、仲買人を保護するところに、その目的を有するものというべきである。さればかかる証拠金を預託しないでした取引自体は、依然有効と解すべきことは、また多くを説明する必要もないであろう。被告は右の如き取引は、公序良俗に違反する旨主張し、その理由を種々云為するも、当裁判所はにわかに右所論には左袒し得ないところである。もとより仲買人において、委託者から十分なる証拠金の預託を受けて、その委託に応ずれば、右は無謀な投機の抑制に役立つべきことは、推断するに難くはない。しかしながら同条の意図するところはあくまでも証拠金の預託を受けることによつて仲買人を保護することが終極において同法の目的とする売買取引の公正と、健全な商品価格の形成に与つて力ありとの見地に立脚し、よつて先ず、仲買人保護の面においてこれを規制したものと解するのが正当である。
(四) 以上の次第で、被告のこの抗弁は採用するに由なきものである。
三 次に、被告は本件取引中、昭和三十一年五月八日原告のした売買は「附け出し」「バイカイ」の方法によるものであるから、この点において無効である旨主張するから、以下においては、この点につき判断する。
(一) 昭和三十一年五月八日当時における被告の売建玉は、(1)五月限「金子」名義のもの百二十一枚、「徳山」名義のもの三十枚、(2)六月限、「金子」名義のもの九十枚、「徳山」名義のもの三十枚、(3)七月限「金子」名義のもの五十枚、(4)八月限同十枚であり、買建玉は「金子」名義で五月限五枚であつたことは、さきに第一(二)で認定したところである。
しかるところ、前記甲第一号証の一及び三≪中略≫を綜合すると、原告は昭和三十一年五月八日の前場三節において被告の前記建玉を手仕舞うに際し、次の如き方法をとつた事実を認めることができる。
(1) 被告の売建玉五月限百五十一枚については、原告において場で二十枚買い付け、爾余の百三十一枚については、立会時間経過後、次の立会開始までの間に、右約定値段で同時にその売と買とを取引所の場帳に登載したこと
(2) 被告の売建玉六月限百二十枚については、原告において、場で十枚買い付け、爾余の百十枚は、前同様にして、場帳に登載したこと
(3) 被告の売建玉七月限五十枚については、原告において場で五枚買い付け、爾余の四十五枚は前同様にして場帳に登載したこと
(4) 被告の売建玉八月限十枚については、原告において場で十枚の売付をした際、その後これを同一値段で、前同様にして場帳に登載したこと
以上認定事実に基けば、同月八日原告のした売買は、自己が売方になると同時に買方となり、右売註文と買い註文との差引を現実に場で売買し、その相対的数量については、次の立会開始までに、所謂「バイカイ」「附け出し」として、その場の約定値段で、取引所の場帳に登載することによつて、これをなしたこと明かである。(尤も、同日の売買に一部「附け出し」が存することは原告の認めるところである。)
(二) そこで右の如き「バイカイ」「附け出し」について検討する。
(1) 本件で顕われた全ての証拠資料を綜合すれば、所謂、「バイカイ」「附け出し」とは、同一仲買人が、同種の先物取引につき、売委託と買委託を受けた場合、或は仲買人自ら、委託者の注文に反対の売建又は買建をしようとする場合、各売買につき、取引所の市場において、相手方を求めて取引するに代え、次の節の立会開始までの間に、右市場において成立した約定値段により、売と買とを同時に、取引所の場帳に附け出す方法を指称するものであつて、福井人絹取引所においても、多年の商慣習として、これを肯定し、また商品取引所法第七十八条第一項、第十三条第二項に基き制定された福井人絹取引所業務規程第八条は、その有効なることを規定していることが認められる。(右業務規程中に「バイカイ」「附け出し」の規定が存することについては、当事者間に争ない)しかるところ、前記甲第十八号証と証人向川豊志(二回)の証言を綜合すれば、福井人絹取引所における格付先物取引の締結は、競争売買によるべくその方法は、所謂板寄(いたよせ)式を採用していること、すなわち右は、各節毎に取引所係員において、市場の気配を察知して、仮値を定め、売が買より多いときは、呼値を下げて新たな買玉を換起し、買が売より多いときは、呼値を上げて、さらに新たな売玉を換起し、かくして需給の相均一した瞬間を捕えて取引の終了を宣し、その最後の呼値を以て、すべての売玉が一団としてすべての買玉の一団に対して契約の成立したものとなす方法であることが分る。
(2) そこで、右説示したところに基いて「バイカイ」「附け出し」の効力を判断する。
先ず、福井人絹取引所における売買締結の方法としての競争売買は、さきにみた如く、取引所の市場において、公定相場を決定し、これにより、その立会において、幾多の売買を成立せしめ、かつこれを右のすべての売買に関する統一的な約定値段とするとともに、右取引はすべて一定の期間内に取引所の場帳に登載し、売買成立の事実を明確ならしめる方法にほかならないのである。以上からも窺えるように、競争売買は売方買方双方に、競争することを許す売買を謂うものであつて、事実上競争の行われたことを要する趣旨に非ざるものと解するのを相当とする。しからば「バイカイ」「附け出し」も、この点においては競争売買といささかも彼此相異るところなきものというべく畢竟「バイカイ」「附け出し」の方法は、競争売買の一種にして、その延長或は追加を以て目すべきである。してみると同一仲買人において、売委託と買委託を受け、或は自ら委託注文と反対売買をなさんとし、取引をなすべき枚数の対当額を超える部分についてのみ所要の取引をし、対当額の枚数については、「バイカイ」「附け出し」として申告書を以て取引所の場帳に登載を請求し、取引所がこれを許容して登載することにより、右対当額についても、適法に取引が成立したものと認むべく、されば「バイカイ」「附け出し」を目するに無効を以てすべきいわれはないものといわざるを得ない。
なお、「バイカイ」は同一人において、自己の名において、同時に売と買をなすものであるから、この点においてその効力について疑念を生じ易いところであるが、一般に競争売買においては、実質的には売方の一団と買方の一団とが対立するものたること前説示のとおりであるから、その渦中において同一人が売主として、及び買主として対立するも、この両者の地位は、同一の売買関係において合致するものではないのであるが、この理は「バイカイ」についても同様であり、畢竟同一人の売と買とは、独立して存在するのであつて、両権利義務の間に混同が生ずるものではないことを附言する。
(3) ところで被告は「バイカイ」「附け出し」による取引は、取引所を経てした取引に該当しない旨主張するが、そのしからざることは、前に説示したところで明白であろう。すなわち、競争売買の性質方法を前記の如く解する限り、そしてまた、仲買人において売買をなすため取引市場に臨んだ以上、仲買人が現実の競争渦中で取引をなすと、その決定相場が成立後、右の約定値段で取引をなすとは、取引市場において取引をした点で何ら相択ぶところなきものといわねばならないのである。
(三) 次に、被告は「バイカイ」「附け出し」による取引は、商品取引の公正及び価格の形成を阻害し、商品取引所法第一条の趣旨に反する旨主張する。
よつて、検討するに、前叙の如く「バイカイ」「附け出し」においては、売付及び買付をなすべきの対当額を超える玉数についてのみ、現実の競争売買が行われ、対当額の玉数については少くとも約定値段決定の資料となつていないのであるから、一見このことは価格の変動に影響を及ぼし、ひいては公定相場を害するかの如き感なきにしも非ずである。しかしながら、競争売買における価格形成は、需要供給の経済原則のみに準拠すること、さきに述べた如くである以上、その間「バイカイ」「附け出し」が存したとしても、公定相場には、さしたる影響なきものと解すべきである。けだし「バイカイ」「附け出し」による玉数は、現実の売買からみれば常に売、買同数を除去しているのであるから、両者は、需給の均一という点からすれば、その間に、彼此相異るところなきものと認められるからである。しかも、証人森川栄一の証言により認められる福井人絹取引所においては、その所属仲買人は、通常は最高三百枚の建玉に限定され、無制限にぼう大な玉を建てることは、行われていない事実をも併せ考えるならば「バイカイ」「附け出し」の方法をとることにより、被告主張の如く価格形成の適正もしくは、取引の公正が阻害されるとは、直ちに断定しかねるところである。
(四) さらに、被告は前記業務規程八条を論拠とし、本件は仲買人たる原告において委託者たる被告のために有利かつ公平と認められぬ場合であるのに拘らず、「バイカイ」をしたから無効である旨主張する。しかしながら、前記第一で認定した如き事由の存する限り、原告のした「バイカイ」「附け出し」による決済は、必ずしも被告に不利かつ不公平といい難いから、該主張は容れ難い。
(五) 最後に被告は、右「バイカイ」「附け出し」は福井人絹取引所定款第百五十条所定の信義則に反する行為に該当するから無効である旨主張するが、原告が被告の全建玉を決済するに至つた所以はすでに縷々、述べたとおりであるうえ、本件で顕われたすべての証拠を検討するも、未だ右が同条所定の事由に該当するとは認め難い。
されば、被告のこの主張もまた排斥を免れない。
第三結論
上来説示の次第で、被告に対し売買差損金及び手数料合計六百四十九万五千百円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明白な昭和三十一年七月十八日から完済まで、商法所定の年六分の割合による損害金の支払を求める原告の本訴請求は、理由があるから認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項をその免脱の宣言につき同条第二項を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 可知鴻平)
<以下省略>